「母」になった女性には、女性、母の顔があり「わたしの母ものがたり」はそんな女性の人生日記のようなもの。記念すべき第1回は、一般社団法人「MOTHER」代表であり3人のお子様をもつ小澤あきさんの物語。産後、子育てをしながら読者モデルやブロガーとして活動し、2016年「世界中のママを笑顔に」をコンセプトに一般社団法人「MOTHER」を立ち上げられました。子育て経験で得た想い、「MOTHER」としての活動、母として生きるヒントを全3回に渡ってご紹介します。
母になって11年。
今でこそ、息子が小学6年生、双子の娘が小学4年生になり、ワンチームとなって生活できていますが、こんな日がくるとは想像もつかないことでした。
なぜなら、私の育児は傷だらけだったから。
息子が2歳の時、双子の娘たちが産まれ、ずっとワンオペで無我夢中に走り続けてきました。
気づけば自分で自分自身を苦しめていた
ワンオペが悪いとかじゃなくて、我が家はワンオペになるべくしてなったし、私は自分が育児をやりたいという気持ちが強かったけれど、それゆえ大変な思いもしたし、自分を責めたこともたくさんありました。
「自分1人でやらなくてはならない」
「私が産んだ子供たちだから私が責任もたなくちゃ」
この考えが、私自身を苦しめたんです。
病気になっても休めない、ブレーキ知らずな日々
娘たちの1ヶ月検診の時は、新生児1人を抱っこして、もう1人をフットボールのように脇に抱え、2歳児の手をとってタクシーに乗りました。無謀でしかないこの行動も、当時はがむしゃら過ぎて当たり前だと思っていました。
また、子供たちが順番に熱を出せば、嘘のようだけど毎日小児科にも通いました。
そんなある日、子供たちから病気をもらってしまい、高熱が続く日々を送ることに。
そんな時も私は、自分にかけた呪いの「自分1人でやらなくてはならない」というものに縛られ、休むことなく子供たちのお世話をしました。
結果、倒れて救急搬送されて...。
病気は深刻なほど悪化していて、即入院。そんなことが数回続いたのに、呪いをとくどころか「子供のお世話ができなくなるなんて母親失格だ」と自分を責め続けたんです。
「自分が健康でなくては子育てできない」ということよりも「倒れずに面倒をみるべき」という思考回路になっていました。
水面下にあった夫婦間のジェンダーギャップ
この思考は、きっと私たち夫婦のジェンダーギャップも絡み合っていると思います。なぜなら、当時の夫は根っからの亭主関白タイプで、家事や育児は母親がすべきだと考えていたから。
それに加え、私自身に「人に頼る」という選択肢もなかったし、もちろん夫にもなかった。だから私は自分が倒れても、「母」としての役割を果たすことにこだわったんだと思います。
でも4年前、夫が仕事の関係で地方へ単身赴任することになり、それがきっかけで思考も行動も変わることができました。
正直なところ、私と子供4人の生活になってみたら、精神的にも体力的にも本当に楽になったと思います。
夫が単身赴任になったこと、子供たちが成長するにあたって母として経験値が増えたことで、「自分1人でやらなくてはならない」という呪いから少しずつ解放された気もしています。
できないところは子供にサポートしてもらったり、それでもどうしても手が足りない時に、2回ほどベビーシッターさんにお願いすることもできました。
1人で抱えずもっと人に甘えて頼れば良かった
そんな変化から、今は当時の自分に教えてあげたい。
「誰かのサポートを受けていいんだよ」
「人に甘えていいんだよ」
無理することが母親としての美学でも何でもないのだと。
明日はやってくるし、母業に加え、仕事をしている人もいて、現代の女性は本当に頑張ってると思います。
「人に頼っていい」という考え方の浸透は、夫婦間のジェンダーギャップ、義母や義父といった家族の理解、ご近所の目なども含め、今の日本はもっと進化せねばならないと思います。
「社会で子育していく」そんな世の中になっていけば、頑張りすぎたり、無視したりせずに、ママがもっと自由に輝ける世界が広がるんじゃないかな。
ーーvol.2は母になってから立ち上げた「MOTHER 」の活動についての物語をお届けします。