※この記事は有料note2016年3月~5月号に掲載されたものです。

「誰と一緒に過ごすか」というのは、人生で慎重に扱うべきことと思っている。時間は有限、時間は命そのもの。だから、少しでも心地よい時間、快適な時間、穏やかな時間、笑顔の時間を積み重ねたい。

どのような時間を過ごしたか、それこそが、人生の幸せ度合いだ。


そして、不思議なことに「思考」「言葉遣い」っていうのは、感染しやすいと思う。だから、コミュニティは似てくるのかもしれない。ポジティブな人、言葉を大切にする人、思いやりのある言葉を発する人と一緒にいると自分までそのようになる。

なので、私は会社を経営していて気をつけているのは、自分が醸し出す雰囲気と言葉遣いだ。「元気さ」「はつらつさ」「謙虚さ」「笑顔」「不屈のマインド」そういうものを創業者が発していればいるほど、それが感染源となり、社風が作られていく。

話はそれたが、だからこそ「誰と一緒に過ごすか」は重要だ。成功の最短ルートは、

自分がなりたいと思う人のそばにいることだし、充実した人生を過ごしたければ、できるだけ好きな人、お互いが高め合える人のそばで過ごすことが大事だと思う。


「相手が偉いから」「上司だから」「お金持ちだから」と仕方なく、倫理観に嫌悪を覚えるのに、考え方に納得できないのに、一緒にいるのはよくない。相手の顔色をうかがって、表面を迎合させていくうちに、その人自身も、気づくと、当初は嫌悪感すらもっていた、その考え方に、少しずつ知らずになじんで、似てきて、心が汚れて染まっていく姿、ダークサイドに落ちていく姿を何度もみてきた。人間は安きに流れるのだ。

倫理観は高ければ高いほど、人生の可能性が広がるだろう。道徳心と貢献心は強ければ強いほど、周囲に愛される価値ある人間になるだろう。

そう、「強い心」とは「簡単に迎合しない心」だ。安きに流されず、信念を貫ける心だ。だから、心を磨いている人とすごそう。そして自分もそうあろう。心の美しさが人間の美しさを決め、人生の高みを見せてくれるはずだから。