※この記事は有料note2016年春号に掲載されたものです。
私は常々「ロールモデル不在」でいいと思っている。その理由は一人一人が自分らしい人生を追求する時代だと思っているから。理由の詳細はこちらに。
それと同じように「理想の母親像」気にしなくていい、私は、そう思っている。
そもそも一人一人の理想なんて違うし、時代の過渡期だから、専業のママも、働くママもいるのは当たり前。しかも、一人一人家族の事情も違うんだから、それぞれが違うのは当然。ママはみんな、子供にとっては大好きなママなんだもの。
だから、みんな、それぞれ自分のなかで目指すママ像、自分がなりたいママ像を目指せばいい。みんなが胸はってなりたいママをそれぞれ目指していい時代になった。他人の目なんて気にしなくていい、育児の常識なんて、わらってしまうくらいこんなに変わっている(さいたま市が祖父母手帳を作った理由)のだから。他人に振り回されるより、自分の理想を追求したほうがいい。
私の場合、ずっとこんな母親を目指してきた。それは、
「挑戦したいことには惜しみなく挑戦させることができる親」だ。
合気道やってみたい、毛糸でマフラー編んでみたい、公文やりたい。。。。もっと大きくなったら「留学したい」「起業したい」など大きなことも言い出すかもしれない。それでも、自分で「挑戦してみたい」ことは、惜しみなくやれるように応援したいのだ。
安易に流れされること(ゲームやテレビや物欲を満たすだけのこと)や、命に関わること(ペットを飼いたいなど)には慎重になるが、彼女らしい人生をいきてほしいと願うとき、彼女らしい人生は彼女のやりたいことの連続線上にあると思う。だから「経験」を積極的にさせたい。
何のリスクもない小さいときに、挑戦できることにどんどん挑戦することは、発想を広げることにもなるのではと思っている。やれば出来ること、やっても出来ないこと、自分に向いていること、向いていないことの経験値の蓄積にもなるかもしれない。
もちろん、これは、私の場合だ。私はシングルマザーだし社長という立場なので、いわゆる「家を守る立派な母親」にはなれない。そうなれないぶんの苦肉の策かもしれない。なので、彼女の中に彼女らしい可能性を植えるサポート役だ。どちらかというと、彼女にとっての「女性の先輩」的な立場の母親なのだろう。根底に愛情がたっぷりあるというところだけが、他の母親と変わらない共通点。
「親であること」で苦労をしなかった親は世の中に一人も居ないと思う。でも、「親になったこと」で、子供から愛を受けなかった親も一人も居ないだろう。
私は、最終的には、子供はどんな親でも受け入れるのではないかと思っている。
娘の「ママみたいになりたい。だから私にはやりたいことがいっぱいある」そんな娘の言葉に励まされて私は今日も頑張る。
彼女を信じて、自分を信じ、「自分と子供」「自分と社会」「子供と社会」のバランスの中で助け合い、自分たちらしい唯一の親子のスタイルを作っていければいいと思っている。
そして、育児支援に携わるものとして、あらゆる女性が望んだときに子供をもてるような社会を、一人一人が自分らしい育児を追求できる社会を実現したい。