※この記事は有料note2016年9月~11月号に掲載されたものです。

この病は日本人の女性に多いのではないかと思う。

「周囲に嫌われたくない」その気持ちから発生した行動は、実は良いこと、生産的なことなんて一つも生み出さないのだ。

たとえば、

仕事のシーンにおいては、嫌われたくない結果、

「自分の思ったことが言えない」→「うまく、納得できないまま与えられた仕事をやる」→「時間がかかるうえに、今イチのものしか出来ない」→「今イチの納品は、自分の評価を下げるし、上司も不満をもつので、よりぎくしゃくした関係を生む」

つまり、仕事の評価も下げれば、上司により嫌われるという結果を招く。しかも自分にとっては不本意なまま。

プライベートのシーンにおいては、嫌われたくない結果、たとえば、

「行きたくもない場所にいく」→「無駄な時間もかかれば、無駄な出費もある」→「そこであった変な人に絡まれるとか、睡眠不足になったりして翌日の生産性に差し障りがある」

私の場合、行きたくない会合などに「どうしても、顔だけでも出してください」と呼ばれて、「うーん、嫌われたら面倒だから、ちょっとだけでも行くか」と、行って、良かった記憶はあまりないと思う。会場をつれ回されたり、知らない人に挨拶させられたり、変な人に絡まれたり。

そこで更に翌日メールが来たり、お願いされたり、そこでまた、相手の顔をたてないととか、嫌われないように、メールに遠回りに丁寧に頭を使ってかいた文章で返信したり、やり取りも続きかねなければ、労力の消費は相手が鈍感であればあるほど長引く。

ある上場企業の社長が、「ネットワークの質が担保されていない場所には行かないようにしている」といっていた。その理由は運気がさがるから、と。

もし、たとえば、自分が政治家だった場合、一人でも多くの人に会うのは、1票の営業の積み重ねだから、必要なことだろう。地域の運動会にまで顔を出すメリットがある。

でも、政治家じゃなければ、行きたくない会合だったら、断ったってそれほど問題はない。断って切れるような縁なら、相手は相手のメリットであなたを動かそうとしているだけだから、一日も早く切った方がお互いのためになる。

つまり、言いたかったことは、何よりも先ずすべきは

「自分の意志を、好みをはっきり持つことの大切さ」


「人生の選択権は常に自分にあるという意識」だ


「嫌われないこと」を優先する人は、「相手の評価軸で人生を生きること」になる。つまり、自分のたった一度の人生を、相手にゆだねている生き方だ。常に選択権が相手にある。そして、相手によって、自分をあわせ、いやでも変えていかねばならないので、すなわち、消耗する生き方でもある。

そして、実は、自分にとって無責任な生き方でもある。


「相手がそういったからやった」という不満は子供がいいがちないい訳だ。

自分の人生を生きたかったら、自分で決断して行動しよう。

一度きりの人生を自分らしく行きたかったら、納得して選び取ることが大事だ。

何をやるか、誰とやるか、どう生きるか。その選択権は常に自分が持っているのだ。